はじめに
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相国寺創建
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春屋妙葩
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生いたち
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南禅寺山門事件1
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南禅寺山門事件2
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相国寺炎上1
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相国寺炎上2
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相国寺炎上3
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相国寺炎上4
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足利義満と金閣1
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足利義満と金閣2
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足利義満と金閣3
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足利義満と金閣4
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足利義満と金閣5
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足利義満と金閣6
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義持と 相国寺再炎上1
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義持と 相国寺再炎上2
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義持と 相国寺再炎上3
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義教と相国寺再建1
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義教と相国寺再建2
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義政の登場
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叢林のしくみ1
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叢林のしくみ2
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愛妾今参局1
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愛妾今参局2
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愛妾今参局3
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長禄寛正の飢饉1
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長禄寛正の飢饉2
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応仁の乱1
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応仁の乱2
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東山山荘
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瑞渓周鳳1
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瑞渓周鳳2
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乱後の再建
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天文の災厄
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承兌の出現
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家康に用いられる
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崇伝の登場
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相国寺再び炎上す
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後水尾上皇の出家
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天明の大火
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誠拙の屈請
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鬼大拙の登場
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困難に立ち向かう独園
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こんな物騒な環境の中で、独園はひたすら弟子の育成に情熱を燃やしました。それはあたかも、上野寛永寺の森に殷々とこだます彰義隊の銃声の中で、平然とミルの自由論を講じた慶応義塾社の福沢諭吉に似ていました。
明治三年八月独園は相国寺の住職となりました。しかし明治新政府の神仏分離令によって、廃仏毀釈の運動が起こり、仏教の地位は全く墜ちてしまいました。この時、独園は敢然として起ち、廃仏の非を痛論したのでした。分離令に次いで、明治政府は明治四年寺領上知令を発して、寺院に追い討ちをかけました。多くの寺院はその寺領を失いましたが。相国寺でも、もと七万坪あった境内地のうち、四万三千坪が没収されるという打撃を受けました。そのようななかで、明治五年大教院が設置されると、独園は大教正に任じられ、臨済・曹洞・黄檗三宗の管長を兼ね、同年一二月には大教院教頭にすすみました。まことに独園は我が国禅宗界の最高責任者になったのです。それだけに彼の双肩には、仏教布教の自由を回復すること、経済的打撃を緩和すること等々の解決すべき問題が重くのしかかってきたのです。
明治八年大教院が解散となり、相国寺管長にもどった独園は、それより地方の布教の旅に出、土佐・薩摩・日向・大隈などにそれぞれ教線を拡張しました。鹿児島の南洲寺などは、このとき造営されたものです。又、塔頭玉龍院を居士林とし、在俗のための禅堂としました。参禅するもの常に五十余人に達したといいます。山岡鉄舟などもここに参禅しています。明治二十七年弟子東嶽承ラにあとを譲り、自らは東山銀閣寺に隠退し、翌年八月七十七歳で遷化しました。彼の鉗鎚を受けた僧は、実に1千余人に及んだということです。まことに独園は、近代の相国寺を作り上げた第2の夢窓疎石でありました。
相国寺物語 完
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